〒192-0362 東京都八王子市松木19-5-105 京王堀之内駅 徒歩12分
駐車場:近隣にコインパーキングあり (ご来所時に最寄りのグループホーム同時見学も可能です)
近隣・遠方問わず 一度も来訪せずに継続的なZoomやお電話、メールでの打ち合わせも可能です。全国対応です。
受付時間
・行政書士(1999年登録)
日本行政書士会連合会登録 第99088790号
東京都行政書士会登録 第4299号
・産業カウンセラー
・CTIジャパン コーアクティブコーチ応用コース44期
・知的障害援助専門員
(公益財団法人 日本知的障害者福祉協会認定資格)
・東京都福祉サービス評価推進機構認定
・東京都福祉サービス第三者評価者(第1期)
・評価者個人認定番号 第H0202119号
・東京都社会福祉協議会 法人経営部会 元特別委員
著書
「特定施設(有料老人ホーム)の運営管理マニュアル」
総合ユニコム 共著
「介護経営白書2007年」
~地域の介護力の検証と勝ち残りのブランド化戦略研究~
日本医療企画 共著
福祉新聞(週刊)、月刊介護ビジョン、日経ヘルスケア21(月刊),シルバー新報(週刊)、月刊KINZAIファイナンシャルプラン、月刊起業塾、月刊介護保険、高齢者住宅新聞(週刊)、月刊居宅ケアサービス、月刊最新医療経営(Phase3) 等
上記全て事務所にて閲覧可能。
「本日、天気晴朗なれども波高し」
愛媛県松山市生まれ 4人家族
大学入学のために上京する18歳までは松山で過ごします。
松山はいまや道後温泉だけでなく「坂の上の雲」の街としても有名ですが、母校の高校のかつての校長は秋山好古。
私が学生時代過ごしたのも正岡子規らが学生時代を過ごし秋山好古が舎監を務めた常盤学舎(子規の時代は本郷、私の頃は既に東京都東久留米市に移転)です。
当時私も何気に寮生らと毎週、習慣化されていた早朝野球を楽しんでいましたが、あの伝統は子規が明治時代に常盤寮生と野球の普及に努めたのが始まりだったとは、最近になって正岡子規記念館の展示内容から知りました。
ベースボールを野球(幼名の昇➡のぼーる)と訳したの子規ですが、勝手に縁を感じています。
ちょっとは繋がっているんだろうか・・・(汗)
「本日天気晴朗なれども波高し」という言葉は日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を迎え撃つ時に作戦参謀だった秋山真之が東京に打電した一文です。
私は「物事に向かうときに、平穏に見えても試行錯誤重ねて油断するな」というように勝手に解釈して楽しんでいます。
1988年 ミサワホーム㈱入社 新人はほとんどが出向する会社。持論として若いうちは視野を広げるために知らない土地が良いと札幌と大阪を希望して大阪へ配属。札幌も赴任したかった・・。
独立してから東北も沖縄も九州も四国もすべて仕事で行きましたが、北海道だけ呼ばれたことがないのです。お待ちしております・・。
4年間東京に馴染んでからの大阪はなかなか異文化コミュニケーションが刺激的でした。
建設会社ながら住宅メーカー。商社のような組織でグループ経営。大阪の関連販社にて特建開発などに従事の後、東京本社へ 後に利用者との長期の関わりを求めて福祉業界へ転じた原点での経験があります。
寝ている時間以外は働いていたような時代。専門知識はもとより、 大阪の人情に触れ、組織の動き方や意思決定のあり方からいろんな不条理までビジネスの基礎、人情の機微を学んだ時期です。
ミサワの3か月は世間の1年が合言葉。新人での3年間の出向経験は4倍速の時間で過ごせました。
ただお客様は大阪の中小企業のオーナーが多かったので、若造の私には勉強になることばかりでしたが、毎月出会うお客様と、営業の現場ではじっくり腰を据えた長期の関わりが 持ちにくかったのは、心の底では小さな虚無感を感じました。
収益物件の長期収支的な発想だけでなく、建築業でありながらメーカーであり商社的な組織できしたから標準化・平準化を学んだのもこの時期です。 建築屋ですから現場ではハードを追求した時代です。
1993年 はじまりは高齢者福祉から!
ハードからソフトへ。ハードの向こう側にいる人(利用者)との長期的な関わりを求めてソフト産業(運営業界)へ転じました。
社会福祉法人聖隷福祉事業団へ入職。
介護福祉業界へ。
この頃既に日本は将来少子高齢社会になるデータがハッキリ出ていました。
しかし介護保険の形は全くなく、現在と違い誰も福祉業界に見向きをしないような時代でしたから、これだけは先見の明だったと言えます。
特定の入居者とじっくり腰を据えて長期間関われる喜びは大きかった。
聖隷は日本最大級の福祉のデパート。
日本初の特別養護老人ホーム(関連法人)及び日本初の聖隷ホスピス、本格的有料老人ホームの先駆け、災害ヘリなど、昭和38年の老人福祉法施行時は聖隷の特養がモデルとなり現在の法整備の先駆けにもなった100年近い歴史がある福祉のパイオニアです。
阪神淡路大震災の時には震災直後に私は宝塚へ出張。
警察犬3頭と真っ暗闇の山中へ認知症のお年寄りを探しに!
(能登半島地震における災害医療派遣(DMAT))
浜松まで視察に来た厚労省の課長など三方原福祉タウンを何度か案内しました。
あのマザーテレサが来訪したり、在職中に創業者(長谷川保)をねぎらいに平成天皇・皇后陛下がお見えになり、私も数メートル先の眼前で皇宮警察の方々と警備のお手伝いをしました。(警察関係の警備体制250名!)
浜松本部での開発課(大規模立地開発、土地の選定など)に着任、その後東京にて2年間の有料老人ホーム(320室、入居規模400人)開発準備室を経て、そのまま八王子市南大沢地区の現場運営に3年間従事。(現在も住み着く。)
某住宅供給公社との長期の侃々諤々の議論の末、運営受託し開設メンバーとして運営した5年間は今日に繋がるかけがえのない期間です。
1998年 平日は幼児だった長男をあやしながら、週末は資格予備校に通学して、通勤の車の中では音声で憲法の条文暗記して半年づつ猛勉強して2回目で行政書士試験合格。
合格率は7.9%でしたが当時は軽い気持ちで独立する気は全くなし。法律の素養を身に着けるための腕試し受験でした。
1999年 聖隷福祉事業団退職(円満です)
今振り返ると2000年以前は介護保険が始まる前であり、障害者福祉は当事者の保護者の会が地道にわが子のために活動している時代です。
一部の社会福祉法人以外は(NPO法さえ制定されていなかったため)法人格さえ持たず任意団体としての活動が多く、福祉は草の根の自主事業か行政からの委託のみ。
2000年以前は福祉業界は夜明け前だったと言えます。
NHKドキュメント72時間の人気歴代3位「海のみえる老人ホーム」(三浦市油壷)は聖隷が運営する有料老人ホームで私も研修や出張で何度も訪れました。
独立前は正にああいうモデルの大規模高齢者住宅(エデンの園等)の開発・運営に携わっていました。
2000年以前の福祉コンサル市場は既にあった有料老人ホーム市場の設立運営コンサル以外はほぼ皆無。
士業では役所出身で社会福祉法人設立を手掛ける方が1人だけいましたが、私が「福祉法務」の看板を掲げた時には同様な専門を名乗る方は全国に1人もいませんでした。
開業間もない頃、福岡県行政書士会の見知らぬ理事の方が珍しがって東京の事務所へ挨拶に来てくれました。果たしてこの分野で食べていけるの? 新分野開拓とばかりに「福祉法務とは??」を真顔で尋ねて来る時代です。
私も独立当初有料老人ホーム運営に関する著書を、錚々たる顔ぶれの運営事業者や大学教授等の先輩方と、共著で執筆させて頂きました。
有料老人ホームは富裕層のためと言うより、昭和40年代の核家族化の進行による、経済苦ではなく孤独感から来る世界一の高齢者の自殺率問題から、ボトムアップの福祉政策からも漏れた高齢者を救う目的で生まれました。
全くの民間の創意工夫でできたため市場形成が(昭和40年代から)先で介護保険施行後のかなり後になって現在の形に落ち着く法律の網がかかりました。
対して障がい者施策はまさしくボトムアップからの福祉政策であり雲泥の差を感じます。そして差別と迫害の歴史です。
昨今、認知症が世間に認められたことに対して、「障害者差別解消法」という 法律が必要なほど障がい者の世界は差別意識がまだまだ残っていることを残念に思います。
「呆け老人」と言われた2000年以前は隠す対象であった現在の「認知症高齢者」は現在小中学生が手を引いて交番へ案内する時代になりました。
それと同じように、「障がい者の方々が差別意識から解放され、世間に溶け込んで認めてもらうこと」が我々の目指すところと心得ています。
設立反対に遭い他の場所での開設を余儀なくされた弊社の運営法人の理念の一部でもあります。
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